リレーインタビュー
夢を追いかけてオーストラリア 第43回
今は子供たちが生活の中心。でも将来は教育に携わる仕事を。
鍼灸(ルビ:しんきゅう)院ZEN
レセプショニスト
近藤(ルビ:こんどう)まみさん
先月号でお話を伺ったウィーラウット(ノット)・チャイワットさんからバトンを受け取ったのは、3歳の双子の女の子の母として毎日子育てに奮闘する近藤まみさん。スビアコにある鍼灸院ZENの受付でも働く彼女に仕事、オーストラリアでの出産・子育てについて伺ってみた。
オーストラリアへ来る前は何を?
デパートの松坂屋名古屋本店で案内係、顧客サービスそして苦情受付を担当していました。5年半勤めたうちの5年間は苦情受付係でしたね。大抵の人は2〜3年するとストレス性の病気にかかって辞めてしまいます。若い女性社員が受付の部署に配属されることが多いので、負担も大きく長く勤務している人はいませんでしたね。私は長いほうだったと思います。
オーストラリアへはどうして?
結局私も体調を崩してしまい、デパートを退職して1年間のワーキングホリデービザでパースへ来ました。その1年間は何もしない「休息」のつもりでした。1年後にまた戻ってこようと決め帰国しました。
帰国後は地元名古屋のコンピュータ会社でカスタマーサポートの職を得て1年弱ほど勤め、またパースへ戻り今度はTAFEへ1年間通いました。
その時はオフィスアドミニストレーションのコースを取り、シティーのMYERの隣にある土産物店でもアルバイトを。主人とは2回目にパースへ来たこの時に知り合ったんです。
TAFEの後は日本へ?
主人との出会いはありましたが、コースが終わったら日本へ戻ろうと決めていたので、帰国後は愛知県にある福祉系の大学に就職しました。図書館司書の資格を持っていたので、大学の図書館員に応募したのですが、面接の際に国際交流科に空きがあり、語学習得者手当もつくからとそちらの仕事を勧められ、半年ほど勤めました。
在職中に結婚の話が持ち上がり大学は退職、その後は1年ほど実家へ帰り家事手伝いをしていました。
ご両親にはオーストラリア行きは反対されなかった?
心配はされましたが、止めても無駄だと思っていたようです。父親はかなり厳しいほうでしたから、ワーキングホリデービザで渡豪する時は準備を全て整えて、出発の1カ月前に父に話してその2週間後に仕事を辞めました。事後承諾でしたね。
結婚する時も全ての手続きを終えて、オーストラリアから彼が来るのが決まってから「結婚しようと思う」と報告したくらいなんです。
ZENで働き始めたきっかけは?
結婚し3回目にパースへ来た時は、以前働いていた土産物店ですぐ働き始めたんです。その店にZENの医院長と奥さまが買い物にいらして、うちで働かないかと。週5日フルタイムの仕事を頂きました。結局出産の2週間前まで勤め、いったん退職しました。
当時クリニックは妊娠中の管理に力を入れた治療をしていて、自宅にいるよりはクリニックにいたほうが近くにスペシャリストがいる分、安心でしたね。
出産後の復帰は、子供が2歳になった時に、また働いてもらえないかと言われ、週1回2時間程度、子供同伴という条件で再開しました。
ZENでのお仕事は?
受付業務をしています。医院長のお話では、働き者の日本人スタッフに合わせてくれるオーストラリア人のスタッフがなかなか見つからなかったと。こちらの人はちょっとクリーニングを取りに行くと言って突然いなくなったり、頻繁に入る予約をうまくさばくことができなかったようです。
医院長はオーストラリア人ですが、日本で修業された方なので日本人のきめ細やかさを求めていたのだと思います。
今は子供の都合に合わせてもらっていて、子供の体調が悪ければ突然の休みももらえます。子供を連れて仕事に行っていますから、時間的制限もありますが、クリニックの管理や、ファイリング等を任されていてやりがいはあります。
今はクリニックのスタッフも数が減り、医院長が不在の時は週に1回出勤するだけですが、医院長が在院の時は医院長のタイトなスケジュールをうまく回していくのと、ウェイティングリストに常に50人くらいの患者さんが待っていらっしゃいますから、それを何とか振り分けるために週のうち数日は出勤しなければなりません。
パースで出産、子育てを経験して苦労や不安は?
実家の両親の手助けがありませんし、主人の両親は既に亡くなっていますので、自分が病気にかかってしまうと大変さを感じますね。
特に双子ですから、最初の1年はかなり大変でした。楽になる時はいっぺんに楽になりますけど。2歳を超えたら一人遊びができるようになるので、下の子がいるより楽かもしれません。いつも友達がいる状態ですからね。環境を設定してあげれば自分たちで遊ぶことができます。
子供たちがもっと小さかったころ、ショッピングセンターなどで見ず知らずの人から「頑張ってね」とよく言われました。「うちも双子で大変だったのよ、あなたも頑張ってるわね!」と肩をたたかれたりもしました。励みになりましたね。
今後は日本語をしゃべらせることが一番の課題になっていくでしょうね。父親は日本語が全くしゃべれないので、子供たちは父親の前では英語を使っています。ですから私は子供たちとは日本語で話すように心掛けています。それでも保育園に上がると日本語がどんどん消えていくそうです。母親と過ごす時間が少なくなって、友達は日本語を話す子が少ないですからね。
今後はどのように?
これからもパースで子育てができたらよいですね。物価が高いとかありますが、子育てにはとても良い環境だと思います。ちょっと歩くとどこにでもきれいな公園がありますし、図書館には必ず子供用のスペースがあったりしますから。
仕事に関しては、続けられる間はお手伝いさせていただきたいと思っています。あとは日本の国語の教員免許を持っているので、こちらでも資格をとって教育に携わる仕事をしたいと思っています。
いろいろ考えてはいますが、とりあえず、子どもたちが保育園に行くまでは、無理をせずにママであることを楽しみたいと思っています。
では次の方をご紹介いただけますか。
オーストラリア人のジョン・ペテットさんを紹介します。パースでツアーガイドをなさっています。知り合ったきっかけは、スカーボロの日本人のプレイグループでジョンさんの奥さまと知り合いました。目立つことが大好きでとってもフレンドリー、日本語はペラペラ。楽しいお話が聞けると思いますよ。




